第29回(2009年第2回)

概要

内容

1 きてみてネット発案の経緯

吉村さんはまず、「きてみてネット」はどうやってできたのかということを話されました。 吉村さんは元々、滋賀県湖東町(現・東近江市)で司書をしておられたそうで、 この経験が、自治体単位でものごとを考えるきっかけになったということです。

出版関係に関心があったこともあり、京都の出版社に転職されました。 その後独立し、枚方に金壽堂出版を作られたそうです。 そして、2004年に会社を故郷の葛城市に移し、今に至ります。 葛城市に戻ってから、市政モニターを2年間つとめられました。 そこで葛城市について勉強する中で、「葛城市は良いところだから、もっと活性化したい」 と思うようになったそうです。

活性化するにあたっては、ホームページを立ち上げればお金もかからないしいいだろうということで、 2007年冬に、疋田の木村さん、金壽堂出版の壮丁を手掛けておられた塔下さんとともに、 「きてみてネット」を立ち上げられました。 最初、秘書課に話を持って行ったが、市について情報をのせるなら許可をとってくれといわれたそうです。 しかし、税務課に同級生がおり、話をすると、職員に西川さんという面白い人がいると紹介してもらいました。 西川さんと話をする中で、自分たちだけで作るのでは広がらないので、 通信部員をつくろうということになったそうです。

吉村さんは宇治市・京都市に住んでおられたこともあるのですが、 新庄と言ってもどこにあるのか分かってもらえないことが多かったそうです。 そこで、葛城ブランドを作りたいという思いを持つようになりました。 ブランドというと、序列と結びつけて受け取られることもあるが、そうではなく、 葛城の良さを発信するということであって、他にはないといばるのではなく、 他でもできるノウハウを蓄積することだと説明されました。

なお、広報葛城との棲み分けはできているということです。 その例として、広報には特定業者の情報などは載せられないが、 「きてみてネット」であればだれでも発信することができる、ということを挙げられました。

2 きてみてネット運営の実際

続いて、「きてみてネット」の運営について話されました。 市民が自ら発信するという「きてみてネット」の趣旨について、 なかなか理解されにくいのが現状だそうです。 たとえば、「取材にきてほしい」「私たちのことを紹介してほしい」と言われることも多いようです。

当初はフリーペーパーのネット版のようなものを目指していたそうですが、 市民が発信するようにしないといけないと考え、通信部員という仕組みをつくられました。 現在通信部員は63人いるそうです。 老若男女を問わず、また、思想信条を問わず、いろんな立場の人に入ってもらっています。 中には市の職員さんもおり、ペンネームを使う方もいるそうです。

「きてみてネット」の中心となるのが「耳コミ通信」だそうで、 通信部員から写真と文章が送られてきます。 市民が通信部員になり、自ら情報を発信するという形になっています。 中でも面白い人や、面白いものがあれば、「スポット」「ひと」などのコーナーで紹介されるということです。

運営上の問題については、ボランティアスタッフの問題があるそうです。 本業が大変であったり、モチベーションを維持するのが難しいといったことがあって、 スタッフをやめる方もおり、今後どうしていくか課題があるということでした。

ここで、「きてみてネット」が載った新聞記事を紹介されました。 2008年8月6日付産経新聞の記事には、「きてみてネット」設立の経緯が載っています。 また、2008年9月25日付奈良新聞には、事故米被害の店を応援したという記事が載っています。 この事故米被害店支援の件については、マスコミの反響も大きかったそうです。

続いて、「艶芸サロン」とのコラボ企画 “上方講談「中将姫」と江戸粋曲”の案内がありました。 「きてみてネット」のテーマソング「夢太鼓」の演奏や、中将姫についての講談もあるそうです。

ここで少し話が変わって、出版社をつくった狙いについて話されました。 ひとつには、漢字文化圏である東アジアのことをやりたいということ、 また、葛城から情報発信をしたいということがあるそうです。

3 きてみてネットの将来の目標と現状

最後に、「きてみてネット」の今後についてのお話がありました。 まず、市内ボランティア団体のネットワーク化をはかりたいということです。 葛城市内には多くのボランティア団体があるが、交流がないため、その橋渡しをしたい、 またそうすることで、なにかしらコラボレーションができるかもしれない、ということを話されました。

また、當麻と新庄の一体感をつくりたいということです。 「葛城市民」という意識を育てていきたいと抱負を述べられました。

そして、市との協力や役割分担についても考えていかないといけないということです。 まだ市の職員と個人的につながっているという段階であるが、 奈良県庁の方からはバックアップしてもらったりもしているそうです。

意見・質問

感想

大変興味深いお話ばかりでした。 市民自ら情報発信し、地域にネットワークを作っていくというモデルはすばらしいものであると思います。 今後、活動が更に広がれば、行政や議会に対しても大きな影響を与えていくのではないでしょうか。 当会とのコラボ企画などもできればと思います。吉村さん、ありがとうございました。

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